シドニー浜の竹内文書・竹内文献に関するメモ帳
ムー大陸と南極大陸の形と位置関係の比較
目次へ戻る
ミヨイ・タミアラ関連について、突然思い立って、ネットで探した下に示す
ように画像で比べてみました。下の絵(ムー)と衛星写真(南極)がありますが、
ムーの写真を180度回転させたものと、南極大陸の形がそのまんま一緒
なのです。これまで比べた事も無かったのでピンと来る事もなかったですが
両方の大陸の一部に見られる半島みたいなところの形や、それぞれに示されて
いる世界的な位置関係が90度程ズラした場所で殆ど一緒といっていいくらいです。
これらの証拠にもし間違いがなければ、ムー大陸の沈没てあったというよりも、
それはポールシフトによるものだったのでしょう。
マンモスの凍結したままはまだ南極で発見されていませんが(最初発見されたと
いう情報を勘違いしていましたが南半球ではこれまでほぼ発見されていないらしいです)、
それがおそらくはポールシフトによって短時間で瞬間的に凍結しているかもしれない
という未確認情報があります。かつてムー大陸にはマストドンといわれるマンモス
の仲間が居たという伝承が残っています。もし南極がムー大陸だったとしたら、
これらの伝承が本当ならば、厚さ2500mともいわれる氷の奥底にはこれらマストドン
の氷結したものや、ムー大陸の遺跡が眠っているかもしれないのです。
葺不合第69代のスメラミコトは、神足別豊鋤天皇でしたが、神武即位前
873年(B.C.1533)に無くなったミヨイ・タミアラは、ムー大陸の南極への移動で
あったか、もしくはそうでないとしたら、ミヨイ・タミアラはムーとは別の大陸
だったかもしれません。でなければ、竹内文献の記事は、せいぜい現在から
約3500年程度の昔ということになるために「ー 約400万年前から1万年前頃
(絶滅時期は諸説ある)までの期間に生息していたとされるー Wikipedia」
マンモスの居た年代が狂ってしまいます。でも「ー最後のマンモスは、
紀元前1700年頃に、東シベリアの沖合にある北極海(チュクチ海)
上のウランゲリ島で狩猟されたという説が提起されている。ーWikipedia」
という部分への合致がみられます。
目次へ戻る